センター試験長文問題全訳


2015年センター試験第7問

 フランス人は日常生活では一つしか使わないとしても、通常多くのファーストネームを持っている。そうしたファーストネームは偶然に選ばれたものではない。かつては単純な規則に従って付けられることが多かった。つまり、最初のファーストネームは父親のもので、2番目や3番目は祖父母や伯父のものというような規則である。従って多くの場合、ファーストネームは個人と家系との関係を表していた。
 ところが現代では、こうした伝統の影響はさほど強くはなくなっている。確かに、親が子供の名をつける際には自分の趣味や個人的な経験に依ることが多くなっている。つまりスペインを好む者はスペイン風のファーストネームを選ぶことがよくあるし、映画好きは女優や俳優の名をつけることを好むのである。
 ポムやプリュム、さらにはスリーズといった、1970年代末に現れた果物の名を選ぶ人もいて、今日ではおよそ900もの数となっている。一方、フルシェットやヨガ、ヴァニーユといった日常的な単語からファーストネームを工夫してつける人もいる。
 しかしながら、こうした個人的なファーストネームを付けたがる傾向は、とりわけファーストネームがどのように社会に受け入れられるかということに関連した新たな問題を引き起こす。事実、社会通念からあまりに違いすぎるファーストネームによって、子供が様々な困難、悪意ある嘲笑や不当な行為にさらされる危険があるのではないだろうか。
 今日、多くの親たちがジレンマに直面していることが明らかである。一方では親たちは伝統や他のファーストネームとは別な名を選びたがるが、同時代の慣例を全く無視することもできないのである。だから、独自でありたいという意志は、現代社会の特徴の一つであるが、他者と同様でなければならないという逆の責務と対立してしまうのである。
 結局のところ、子供を名付ける完全な自由はないのである。おそらく規範は以前ほどは明確ではないが、だからといって規範が消えたわけではない。昔と同様に今日も、子供を名付けるということは、子供を他者の批判にさらすことでもあるのだ。  


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